「風邪ひくよ、幸村」

観客スタンドから静かに声を掛けると、幸村は驚いたようにこちらを見上げた。あたしが笑って小さく手を振ると、幸村も笑顔で手を振り替えしてきた。コートの中央に立っていた幸村はスタンドの方までゆっくりと歩いてきた。

「何してんの?」
「それはこっちの台詞。は?」
「会場の下見…ってとこかな」

にっ、と歯を見せて笑うと幸村は楽しそうに笑った。そう、あたしは明日の決勝戦に備えて会場の下見に来たのである。……仁王辺りがいたらそんなの口実だ、って直ぐにばれているだろうけど。もしかしたら幸村にもばれているかもしれない、でもこの人だけは本当に分からない。

「そうか、なかなか広いだろう」
「うん、決勝戦って感じ」
「去年も一昨年もここで優勝を遂げたんだ」
「…うん」

いつもは見せない子供みたいな笑顔で幸村が嬉しそうに呟く。その目には不安なんてものは微塵も無くって、ただ明日勝つことだけを考えている、そんな感じの目をしていた。こんな笑顔の幸村を見たのは久しぶりで、なんだか嬉しくて顔がほころぶのが分かった。嬉しいんだろうな、先輩と、歴代王者達と一緒のコートで試合ができるのが。ふふ、と声を出して笑うと幸村もふふ、と小さく笑った。

「明日は絶対に勝つよ」
「うん、応援してる」
「ああ、よろしく頼むよ」
「…緊張してる?」
「まさか、楽しみすぎて武者震いしそうだよ」
「幸村らしいや」

あたしが笑いながらそう呟くと、幸村はコートの方を見つめた。何も言わずに、ただコートの方を見つめていた。その姿が何だか、明日の自分の姿を思い描いているように見えて……なんだかとても、悲しそうに見えた。柄にも無くじんわりきて、誰が泣くもんかと、明日まで取っておくんだ、と大きく息を吸ってこらえた。それでも幸村の事をみているとまた涙が溢れてきそうで、幸村がそうさせているんじゃないかとさえ思った。

「……じょーしょーりっかいだい」
「え?」
「れっつごーれっつごーりっかい いっぱつきめてやれ、おー!」
「……
「どうでしょうか部長様?これでも練習してきたんですが」
「……48点だね」
「うーわっ、幸村きびしーっ!」

わざとらしく自分のおでこを叩く。幸村はそんな様子にくすくすと笑い出した。……幸村が笑うと、あたしも笑うの、なんでかな。幸村の行動一つ一つで幸せになれる。笑顔に、なれる。幸村にもそんな風に思われたいなあ、まあかなりの難問だろうけど。

「決勝前日なのに、応援が悪いよ!」

いつも部員達に言っているような口調で幸村があたしに言う。思わずプッ、と笑うと幸村が微笑みながらまたコートの中央まで戻った。お辞儀をして、前へ行ったり腕を組んで考え込んだり奇妙な行動を取っている。


「今度は何してるの?」
「明日の予行演習だよ」
「あはっ、何それ」
「優勝旗と賞状、ここで貰うから見てて」
「……うん、見てるよ」

あー、楽しみだなあ。なんてのん気に笑う幸村を見て、何故かその時あたしは笑うことができなかった。


次の日僕らは、

(常勝、立海)(あたしの中では永遠だよ)