「ねえ景吾、オムレツが食べたいな」 それまで読書を楽しんでいたこの家の人物の景吾に向かって呟くと、景吾は少し眉をひそめ、顔を歪ませた後小さくため息を吐いた。 「昼飯、足りなかったのか」 「ううん、お腹いっぱい」 では何故、とでも言いたげな表情の景吾にあたしはただ小さく微笑みだけをかえした。 今日は久しぶりにテニス部の練習がなく、二人で会うことになったのだけれども、特に行くところもないのでこの豪華すぎる跡部邸で一日過ごそうという予定になっている。 ついさっき跡部家に仕える超一流シェフが作ったフランス料理のフルコースを口に運んだところだ。 昼間からフランス料理をたべるのもどうなのだろう、とも思ったが、そんなことを少しでも口にだせば中国料理でもインド料理でも変更しかねない。 瞬時に頭の中でそんなことを思い浮かべ、喉まででかかったその言葉を飲み込みいただきます、とだけ言った。 それはもうおいしすぎてダイエット中なことも忘れて皿の上にあったものをすべて食べきってしまった。 実際腹は完璧に満たされていて、その証拠に少しではあるがうとうとと瞼が重くなってきているのを感じる。 空腹が満たされれば眠くなるだなんて、まるで赤ん坊のようだ。手の甲で目をこしこしと少し強く擦る。 正直に言えば今すぐにでも寝てしまいたい。でも、月に一回取れるかどうかの景吾との二人っきりの時間を無駄に過ごしたくない。 まあ実際景吾は読書をしていて自分の世界に入り込んであまり二人っきりの時間、とは言い難いが。 「他は」 「え?」 景吾のベッドの上にある枕を抱きしめると、景吾がいつも使っている香水の匂いと、おそらくシャンプー(高いの使ってるんだろうなあ)の混ざり合った景吾本人の匂いがした。そんな若干変態チックなことをしつつ間抜けな返事をする。 いきなり他は、と言われても何のことだか分からない。一体何の他、なのだろうか 「他には何がいるんだ」 「……オムレツだけでいい」 呆れたように溜息をひとつ吐き、読んでいた本を静に閉じるとこちらに向き直る。 いくら恋人同士だからといってその綺麗なつくりの顔でじっと見つめられたら胸が高鳴ってしまう。 いつまでたってもこれだけは慣れない。少し景吾から目線を逸らし彼の足元の方を見る。 ただ単に彼にかまって欲しいから呟いただけの言葉をもう一度発す。オムレツがそんなに好きなわけでもオムレツがそんなに食べたいわけでもない。 ...ただ景吾にかまって欲しかっただけだ。自分でもなんて子供じみた我が儘だろう、と苦笑する。 景吾を困らせることで束縛感を感じているのだろうか。だとしたらなんて嫌な女だ、と心の中で自身を嘲笑う。 「ちょっと待ってろ」 「……」 景吾が椅子を静かに立ち部屋を後にする。小さく音を立てて閉められた扉を数秒見つめるとあたしは盛大に溜息を吐いた。 景吾を困らせたいわけじゃない。何度も何度も溜息を吐かせたいわけじゃない。 折角の休みの時間をあたしの為に使ってくれてることだってすごい嬉しい。 でもね、景吾。あたしが本当に欲しいのはね、オムレツじゃなくってあなたの愛情なんだ―――。 あたしは今頃景吾に命令されて腕によりを掛けて最高級のオムレツを作っているであろう超一流シェフの顔を思い浮かべて謝罪の言葉を小さく口にした。 こんな我が儘の為に使わせちゃってごめんなさい。きっとオムレツなんてものじゃないものが出てくるだろう。 さて、満腹感で満たされたこのお腹のどこに最高級のオムレツを入れようか。 とりあえず腹ごなしの為に何かしようとと思った瞬間に、ノックも何もなしに勢いよくドアが開かれる。 そりゃあノックをしないのは部屋の主だってことくらいは分かる。あたしは崩しかけた姿勢を直して景吾の方に向きなおした。 ...しかし跡部邸のシェフ様は素早く、も心掛けているようだ。美味しく、素早く、美しく、と言ったところだろうか。すばらしい料理人精神だ、とあたしは心中で拍手喝采を送った。 「おら、オムレツだ」 「わー……い、?」 あたしが思っていたそれとは違い、ただ茶色く焦げた卵だけが豪華なお皿に載っていた。 ……どうやらシェフ様は素早くを重視しすぎて美味しく、美しくを棄ててしまったらしい。 一番大切なものだよ、と今度は心中で突っ込みを入れる。 「そんなんで悪かったな」 「へ?」 「悪かったな、そんなのしか作れないで!」 景吾が顔を真っ赤にして声を張り上げて言う。少し苛々したような、でもどこか寂しそうな表情であたしの顔を見る。 見つめられることに慣れないあたしは、その真剣な瞳に今度は目を逸らせずにいた。 そんなのしか作れないで、ということはもしかしてこれは、 いや、自惚れるな、自惚れるな自分!でもこれは、今日だけは自惚れてもいいよね。 「……これ、景吾が作ったの?」 「…………ああ、そうだよ!」 少しばかり長い沈黙の後に、景吾が赤い顔で叫ぶ。それは、照れているようにも、見えて。 あたしは茶色く焦げたオムレツを綺麗なフォークで口へ運ぶ。 「ふふ、景吾。……しょっぱいよ」 「バーカ、そりゃお前が泣いてるからだろうが」 景吾が呆れたように……でも嬉しそうに呟くと、あたしの前に来て頬に伝う涙を指で掬う。 あれ、あたし、泣いてるんだ。そっか、だからこんなにしょっぱく感じるんだね。 何かが溢れたようにあたしは声を上げて泣いた。景吾が優しく抱きしめてくれたから、あたしも抱きしめ返して。 「寂しい思いさせて、悪かったな」 あたしは無い力を振り絞って景吾の体を抱きしめた。あたしが抱きしめる力を強くすると、景吾はもっと強くなって。 愛されてるんだな、あたし。なんてことを思ったりしたり。 ひとしきり抱きしめあったら、触れるだけのバードキスをひとつ 「ったく、俺様に料理作らせた女はお前がはじめてだ」 「えへへ、景吾のはじめて、か。……なんか嬉しいな」 「俺様がここまでしてやったんだ。それなりの報酬は……当たり前だよな?」 「もちろん!景吾から沢山愛情貰ったから、今度はあたしの番、ね」 「……期待してるぜ」 景吾が呟いた後に、あたし達はもう一度笑いあった。景吾のこんなに幼い笑みを見たのはもしかしてはじめてかもしれない。 こんどはあたしから、景吾を強く抱きしめて、彼の色っぽい唇にキスをした。 |
I think only of you
(ねえ景吾、又オムレツ作ってね。でもあたしが最初で最後だよ)(ばーか、俺様の最後は全部てめえにくれてやるよ)